HSS型HSPのおおつかのメモ

HSS型HSP & INTJ-Tで生きるのが苦しいので思考の整理をしています

姿を変えた推しに執着するのをやめようと思った

私はHSS型HSPという刺激を求める性質を持っているので、常に自分にとって新しい(=センセーショナルな)ことを探している。

その性格ゆえ、これまでに楽しんできた趣味や勉強などたくさんあり、ジャンルもバラバラだ。

ここ近年は台湾のインディーズロックバンド茄子蛋EggPlantEggが好きで、彼らの作品を一人でも多くの日本人に知ってもらうために自分のブログで中国語や台湾語の歌詞を日本語に訳したりしていた。

2年前にリーダー兼ボーカルの阿斌(A-bin)が声が出なくなったためにバンドの活動休止が発表された。それから私はずっとバンドの復活を待っていたのだが、彼は俳優になった。バンド活動とは別の新しい事務所も作ったみたいで、もしかしてもうバンドの復活はないかもしれないと思っている。

残念ながら私は映画やドラマには一切興味がなく、わざわざネトフリを契約してまで俳優に転身した彼の出演ドラマを観たいとは思わない。

 

 

あらためて過去を振り返ると、私は誰かのファンになってもほとんどは数年しか続かずに終わってしまう。これは飽き性のHSS型HSPの気質のせいだと思っていた。

そこで私はそれぞれの推し(ジャンルが多岐にわたるので好きだった物事のことを「推し」で統一します)のファンをやめたきっかけを思い出してみた。ほとんどが解散、脱退、引退、活動休止、露出の自然減少(売れなくなった)などではないか?全盛期にいきなり飽きてファンをやめたことはない。他のファンの人との確執が原因で泣く泣く手放した推しは数人いるけど、私を一方的に嫌悪して推しから遠ざけるように仕向けた人たちがいたことが原因だ。私はファンをやめることなど望んでいなかったのだから。

そう考えると、実は推しが数年単位で変わるのはごく普通のことで、HSS型HSPは関係ないと気づいた。

多くの人はその時代に夢中になった人や物があったりして、人生の転換点で身を置く環境が変わったり、新しい出会いがあったり、推しが一方的にいなくなったり、もちろん自分が飽きたりなど、いろんなことが原因で流動的に趣味を変えているのではないだろうか。

推しがいなくなったあと私はまた新しい何かに出会い、その新しいものに夢中になる。そのときに急に前の推しを思い出し、なぜか申し訳ない気持ちになる。その繰り返しだ。

その申し訳ない気持ちがわくと悲しくていやな気分になることがわかっているので、今の推しを嫌いになったり飽きたりしないように、推しの姿が自分が望むものと大きく変わってしまったのにしつこく執着しているのではないだろうか。

それこそある意味、自分勝手なのかもなぁ。。。

いま現在の自分の状態をあらためて整理すると

・私の前から好きな音楽が一つ消えた
・消えてしまったものは推したくても推せない
・推せないことを申し訳なく思う
・せめて姿が変わっても推し続けようと自分に強いる
・姿を変えた推しに無理して執着している
・その無理が自分の心を苦しめている

 

件の台湾の推しの活動休止を発表した時のインスタの投稿をあらためて読み返してみた。ファンには想像できない苦しみを抱えて悩みつくして出した決断であろうと思う。2年間喉を休めても復帰の兆しがないということと新しい世界に飛び立った彼の姿を見て、私はもう彼に執着するのをやめようと決心した。(メディアで報じられたことも真偽は知らないけど考慮に入ってる)

私は彼が作る音楽だけが好きなのだ。だからもしバンドが復活したらまたファン活動を再開することにしよう。私の台湾方面の推し活は彼のバンド活動と一緒で、ここで一旦休止にすることにした。この「担降り」が一時的なものであることを願う。

推し活は流動的でいい。推しに合わせて自分を曲げる必要はない。推しはあなたを幸せにしてくれるもの。推しながらどこかが苦しいと感じたら、そのときは一度自分の心を見直して本当の気持ちを確かめたほうがいいと思う。


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 『孤獨的人我們一起出發』この曲が大好きだ。たった8行の歌詞の中に現代社会の人間の苦悩みたいなのが現れていて、当時ウツ状態の私の心にブッ刺さった。もう彼によるこういう作品には出会えないかもしれないな。

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